エスノグラフィーは、英語でethno(民族)、graphy(記述したもの)の2つの単語からできた言葉です。
民族、という言葉からも分かるように、エスノグラフィーの歴史は古く、もともと西洋の社会科学から生まれた言葉で、植民地時代、ヨーロッパが南米やアジア、アフリカ、オセアニアなどを統治するために、現地の人々をより深く理解することを目的として使用され、発達してきました。
エスノグラフィーは、観察者がコミュニティに入り、現地の人たちと一緒に暮らすことで、彼らの言葉だけでなく、行動のひとつひとつに隠された意味を探り、問題を解決することを目的としています。
調査期間はさまざまですが、数ヵ月から長ければ数年に渡ることもあります。観察者はフィールドでの見聞やインタビューなどを用いてデータを分析していきます。
エスノグラフィーは文化人類学の方法のひとつとして発展していきました。中でも『西太平洋の遠洋航海者』を著したイギリス人のブロニスラフ・マリノフスキーの研究によって、人類学におけるフィールドワークの重要性が確立されました。
マリノフスキはポーランドで生まれ、イギリスで文化人類学を学んだ学者です。『西太平洋の遠洋航海者』を執筆する際、彼はトロブリアンド諸島というニューギニア東北の島々で24カ月にもわたるフィールドワークを行い、「クラ」と呼ばれる島独自の交易を発見しました。
クラにおける交換品はソウラヴァと呼ばれる赤い首飾りとムワリと呼ばれる貝製の腕輪です。これらに実用的意味は一切ありませんが、材質や品質によってランクがあり、高名なものを所有することで名誉が得られるという文化がありました。
そのため、彼らは命がけで海を渡り、隣の島々とクラを行っていました。島を渡ると、相手の島から歓迎され、その島で一番良いものがもらえる。歓迎する側は相手が何をくれるかに関わらず最高の品を与えるのです。このことを観察したマリノフスキは、これが経済的活動ではないことを発見し、西洋と全く違った価値観で動く「他者」の存在を発見しました。
マリノフスキーのほかにも、多くの人類学者がエスノグラフィーを取り入れ、優れた民族誌が数多く残されています。
また、エスノグラフィーの考え方は社会学にも応用されていき、まったく異なる文化圏の人間を理解するという当初の目的から、現代では、例えばスラム街や暴走族、街角のヤンキー、新宿ゴールデン街の人々、会社、学校、家族など、もっと身近なコミュニティ内部で形成される文化の把握と形成プロセスを理解することに利用されています。
現代ではそれがビジネスに応用されているわけですが、では具体的にどのように用いられているのでしょうか。次項ではエスノグラフィーの事例についてご紹介していきます。
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