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公開日:2018.06.20/ 更新日:2021.07.12

エスノグラフィー(ethnography)

【コラム】『文化を書く』以降に施行されたエスノグラフィー具体的事例

本記事では、『文化を書く』以降、問題意識に基づいて試行された様々なエスノグラフィーの具体的事例を紹介します。*『文化を書く』の問題意識については【コラム】『文化を書く』から読み解くエスノグラフィーに対する批判とは?を参照してください。

一個人として対象者と接するエスノグラフィー (『聖霊と結婚した男』より)

『文化を書く』の発表後に登場した最も代表的な例は、ヴィンセント・クラパンザーノによる『精霊と結婚した男』(1991)でしょう。これはトゥハーミという名のアラブ系モロッコ人の物語であり、彼はアイシャ・カンディーシャという女の精霊と「結婚」していました。著者であるクラパンザーノはトゥハーミに対して度重なるインタビューを行い、その奇妙な心理世界に分け入り、それをなまなましく描き出しました。本書での特徴は、古典的な人類学における「調査するもの−調査されるもの」という関係から、クラパンザーノが「運命的瞬間」と呼ぶ、調査対象者の悩みへの決定的な理解を経て、調査者としてではなく、一個人として対象者に接するようにしたことです。彼は具体的な一個人を「客観的な」記述に埋没させるのではなく、個人的な感情や個別具体的な経験を描くことを通して対象者のライフヒストリーを描きました。

自己再帰性を持ち合わせたエスノグラフィー (『大衆演劇への旅』より)

社会学者である鵜飼正樹による『大衆演劇への旅』(1994)では、調査者としての自己(鵜飼正樹)と、役者としての自己(南條まさき)の揺れ動きが、一人称で描かれています。ほぼ全文が日記という特殊なスタイルで書かれており、自分自身の葛藤を描くことを通じて、大衆演劇の世界を鵜飼正樹・南條まさきの目を通して体験することができるのです。

好井裕明は、ここで語られていることに関して、鵜飼正樹の変化と役者に「なる」という変化そのものを語るエスノグラフィーとして非常に優れていると評価しました。

このように、調査研究における調査者の存在や、彼らの行動、自己をめぐる心情と葛藤を描くことに関して、さまざまな方法で実践が繰り返されてきました。これらのエスノグラフィーは著者が自らの立場に言及し、調査者が「いつ・どのようにして・どのような立場から」観察したのかを明らかにすることを尊重する、自己再帰的なものであると言えます。

フィールドワーカーは「部分的な真実」しかみることができないという調査の不完全さを自覚し、それに対して、調査者が見た事実の背景を厚く記述することが求められるのです。

小説としてのエスノグラフィー 

また、自己再帰的なエスノグラフィーが主流となる中でその表現方法も変容していき、一般的な論文形式だけでなく、フィクションや小説などによる表現が試みられてきました。キャロリン・エリスは、エスノグラフィーにおいて小説を用いることを実践し、これを「方法論的小説(Methodological novel)」と呼んでいます。

彼女は、エスノグラフィーと小説はともに真実を語るための方法の違いにすぎないと論じ、フィクションであると同時に方法論的であるものを書くことの正当性を主張しました。

またロイック・ヴァカンは、自身がシカゴにあるボクシングジムに通い、ボクサーとして修練を積みながらステージに立つというその過程を小説として書き起こしました。彼はそれを「社会学的小説」と呼んでおり、「社会学、エスノグラフィー、小説と通常はっきり分離されているこれらのジャンルを混ぜ合わせることの狙いは、読者が『具体的に、あるがままに』把握できるようにするためである」と説明しています。

彼は小説という表現方法を用いることによって、体験した出来事やそれに対する調査者の感情、それらを分析的に書くのではなく、文学的に描き出すことを選択したように、小説という方法をエスノグラフィーの表現として用いることには意味があると考えています。

また、調査者と調査対象者の非対称性という反省を受けて、調査者と対象者が同じ目標に向かって「協働」するという必要性も議論され始めました。それは小説を用いたエスノグラフィーでも同様であり、キャロリン・エリスは方法論的小説を書き進める中で、調査対象者となる「キャラクター」たちに、小説の執筆プロセスを共有し、違和感のある表現や事実と極端に異なる描写を指摘することができる状況をデザインしたのです。

小説というジャンルにおいて対象者と協働を行うという試みとして参考となる事例ではありますが、一方で、小説という形式上、最終的には、調査者であり著者である本人が筆をとり、彼らを「書く」ということを避けることはできず、協働を通して彼らの意見を取り入れてはいるものの、依然として彼らを「書く」ということを未だ乗り越えられずにいるという点で、まだ協働という手法には新たな方法の余地があると考えられるでしょう。

参考文献:

ヴィンセント・クラパンザーノ 著 『聖霊と結婚した男』

鵜飼正樹 著 『大衆演劇への旅』

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